10月上旬刊行「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」
10月10日発売
上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」凡人社
定価2,100円 ISBN4-89358-629-7
目次
0. はじめに 上野直樹・ソーヤーりえこ
1. 理論編
1.1 ネットワークとしての状況論 上野直樹
1.2 社会的実践としての学習 ー状況的学習論概観ー ソーヤーりえこ
2. フィールドワーク編
2.1 理系研究室における装置へのアクセスの社会的組織化
ソーヤーりえこ
2.2 実践に埋込まれたインタラクション
—理系研究室における実験の社会的組織化— 柳町智治
2.3 教室における知識・情報のネットワーク:入門フランス語クラス
での調査から 柳町智治
2.4 リソースの組み合わせとしてのインタラクション
—「アクションの理論」による終助詞「ね」の分析— 岡田みさを
以下は、その中の一章「ネットワークとしての状況論」からの抜粋です。なお、以下も同じ章からの抜粋です。
ネットワークの終焉
PARC:サッチマンの苦悩
この当時、PARCにいたサッチマン・グループは、IRLのような経営的な問題を抱えてはいなかった。むしろ、すでに述べたように、サッチマンにとって華やかな舞台であったPARCが、同時に彼女の苦悩の種でもあった。このような傾向は90年あたりからもう始まっていたようである。彼女たちは、ある時期から企業内で研究をやって行くことにおいて、明らかに行き詰まりを感じていたように思われる。サッチマンによって書かれたCSCWの二つの論文がその苦悩を象徴している。(Suchman, 1994a, 1994b)
サッチマンの苦悩とはどういうものであったのだろうか。論文から推察できることは、一つには、伝統的なデザインの分業関係と彼女たちの実践のズレにあったように思われる。彼女たちは、一連の研究の中で、孤立したデバイスの創造としてのデザインという見方を大きく変化させて行った。つまり、彼女たちは、隔離された場面を作り、ものと人とのインターラクションを分析して、そこからユーザビリティやデザインについてのアイディアを導き出すという実験室的手法のパラダイムではなく、現実の実践全体を見るべきだという観点を持っていた。こうしたことに関連して、サッチマンたちは、従来的なデザイナー/ユーザという二分法を問題視していた。彼女たちによれば、デザインとはネットワーキングであり、分業の境界を横断する営みなのだ。
しかし、彼女たちが企業の研究所の中で要求されていたことは、伝統的なユーザビリティの調査であったように思われる。彼女たちのような実践全体を見るという観点は、伝統的なデザインの言葉に翻訳するのは、難しかったのだろう。そして、調査、分析-デザインという分業体系が、それをより困難にしていたとも言える。企業の中では、デザインとは、あくまでデザインの専門家が行うものであったのだ。
彼女たちの目指したことは、こうしたデザインにおける分業関係の再編ということであった。しかし、こうした再編、あるいは、再ネットワーキングは、実際にはそれほど容易なことではなかったのだろう。結局、サッチマンが、PARCに在任中、こうした再編のあり方に関して具体的なケースを示すことができなかった。こういうことを可能にするためには、新たな同盟を可能にするような“翻訳” (Latour, 1987)が必要だった。彼女たちは、こうしたことをやりきることができなかった。
サッチマンが、PARCを去るにあたって、その理由としてマネージメント・サイドとのコンフリクトなど様々なことがあったと言われている。しかし、多分、それは、表層的なことなのだ。CSCWの二つの論文は、サッチマンの苦悩と理論的、実践的な限界を示すものであったと思う。
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状況論が人工物を含む学習環境などのデザイン実践に関与しようとするとき、新しい課題が明らかになってくるように思われる。このことは、また、前節で述べたエスノグラフィーを実践として捉えるという観点とも関連している。つまり、デザインにせよ、エスノグラフィーにせよ、それは、参加やアクセスをデザインするという実践であり、また、そうしたデザインのための新しいネットワーク構築や同盟形成の実践である。
すでに見たように、状況論にとって、企業は重要な同盟の対象であった。このことが、状況論にとって強みでもあったし、また、同時に弱点でもあった。実際に、状況論的アプローチにおけるキーワードの一つは「ワークプレイス」であり、このアプローチの中で、盛んにワークプレイス研究が行なわれた。このことによって、学習、知識、人工物に対する見方は大きなひろがりを見せた。一方、当初、それほど意識されていたわけではないが、ワークプレイス研究は、単にフィールドとしてワークプレイスを選ぶというだけでなく、あるレベルを超えるとき、企業との同盟をどのように構築できるか、一つの企業の利害を超えた研究やデザインは可能かということが問題になってきたように思われる。この問題は、まさに企業の研究所の中にいたサッチマン・グループが抱えていた問題である。企業と同盟するということは、例えば、改めて、誰のための人工物のデザインか、誰のための知識の組織化かということが問われなければならなかったということである。
今の時点で見るなら、一つの選択肢は、実際、これまでもある程度なされて来ているが、地域やオープンソース的なネットワークとの同盟を構築するということである。こうしたあらたな同盟、ネットワークを構築して行く中で、状況論をより現代的な形で展開することが可能になって行くように思われる。