土曜日, 8月 19, 2006

ネットワークとしての状況論

「ネットワークとしての状況論」というタイトルで、ある本の1章を書いた。以下はその一節。この後、何が見つかったかということが、このブログのテーマ。

ネットワークの終焉
 私 自身は、1999年に半年間、スタン フォードですごしていた。そのとき、パロ・アルトは、これまで以上に閑散としていた。IRLにも人が訪れることはほとんどなく、そこで、研究会、ワーク ショップが企画されることもなかった。そのような、ある日、PARCにサッチマンを訪問した。そこで、「仕事実践とテクノロジー」(Work Practice and Technology)についてのワークショップがPARCであることを教えられた。このワークショップは2日に渡って行われ、世界から様々な人々が、集 まった。集まった人々は、このワークショップがどのような意味を持つものかよく知っていたはずだ。

 この1999年のPARCでの集会を もって、主に80 年代後半から90 年代にかけてパロ・アルトを拠点として展開した状況論ネットワークの活動は終焉した。その場に立ち会ったことは、私自身にある感慨をもたらした。この集会 は、一つの豊かな時代を表すものだったし、パロ・アルトには、もう何も生み出す力は残っていないことを示していた。このような感慨は、多くの参加者にとっ ても同じだっただろう。集会後、人々は、また、世界の各国に戻っていった。希望的に見れば、パロ・アルトはその役割を終え、種は世界中に撒かれたと考える ことも可能かもしれない。
 この後1-2年後に、IRLも、また、終焉の日を迎えた。ある部門は、あるコンサルタント会社に吸収された。メンバーの何人かは、独自に企業コンサルタントのベンチャーをおこした。
  私自身はもうパロ・アルトを訪れることはないだろう。状況論的な関心からすれば、すでに、そこにはほとんど何も残っていないからだ。1998年にパロ・ア ルト周辺に長期滞在したセス(Seth Chaiklin)も後年、同じことを言っていた。「もうあそこには何もない」そして「そうだとすれば、次に行くべき場所はどこだろうか、私たちは探して いる」とも。レイヴも、また、レイ・マクダーモット(Ray McDermott)も同様の見方をしていた。しかし、それは、たんに行くべき場所だけのことではなかった。恐らく、私たちは、次にどのようなテーマ、実 践に赴くべきかを探していたのだ。

お知らせ:再びBloggerへ

Situated Approachのサイトを、再度、Bloggerに置くことにしました。