金曜日, 9月 22, 2006

10月上旬刊行「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」

10月10日発売

上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」凡人社

定価2,100円 ISBN4-89358-629-7

目次
0. はじめに   上野直樹・ソーヤーりえこ
1. 理論編
 1.1 ネットワークとしての状況論  上野直樹
 1.2 社会的実践としての学習 ー状況的学習論概観ー ソーヤーりえこ
 
2. フィールドワーク編
 2.1 理系研究室における装置へのアクセスの社会的組織化 
   ソーヤーりえこ
 2.2 実践に埋込まれたインタラクション
   —理系研究室における実験の社会的組織化—  柳町智治
 
 2.3 教室における知識・情報のネットワーク:入門フランス語クラス
   での調査から  柳町智治
 2.4 リソースの組み合わせとしてのインタラクション
   —「アクションの理論」による終助詞「ね」の分析—  岡田みさを


以下は、その中の一章「ネットワークとしての状況論」からの抜粋です。なお、以下も同じ章からの抜粋です。
ネットワークの終焉

PARC:サッチマンの苦悩

この当時、PARCにいたサッチマン・グループは、IRLのような経営的な問題を抱えてはいなかった。むしろ、すでに述べたように、サッチマンにとって華やかな舞台であったPARCが、同時に彼女の苦悩の種でもあった。このような傾向は90年あたりからもう始まっていたようである。彼女たちは、ある時期から企業内で研究をやって行くことにおいて、明らかに行き詰まりを感じていたように思われる。サッチマンによって書かれたCSCWの二つの論文がその苦悩を象徴している。(Suchman, 1994a, 1994b)

 サッチマンの苦悩とはどういうものであったのだろうか。論文から推察できることは、一つには、伝統的なデザインの分業関係と彼女たちの実践のズレにあったように思われる。彼女たちは、一連の研究の中で、孤立したデバイスの創造としてのデザインという見方を大きく変化させて行った。つまり、彼女たちは、隔離された場面を作り、ものと人とのインターラクションを分析して、そこからユーザビリティやデザインについてのアイディアを導き出すという実験室的手法のパラダイムではなく、現実の実践全体を見るべきだという観点を持っていた。こうしたことに関連して、サッチマンたちは、従来的なデザイナー/ユーザという二分法を問題視していた。彼女たちによれば、デザインとはネットワーキングであり、分業の境界を横断する営みなのだ。
 しかし、彼女たちが企業の研究所の中で要求されていたことは、伝統的なユーザビリティの調査であったように思われる。彼女たちのような実践全体を見るという観点は、伝統的なデザインの言葉に翻訳するのは、難しかったのだろう。そして、調査、分析-デザインという分業体系が、それをより困難にしていたとも言える。企業の中では、デザインとは、あくまでデザインの専門家が行うものであったのだ。
 彼女たちの目指したことは、こうしたデザインにおける分業関係の再編ということであった。しかし、こうした再編、あるいは、再ネットワーキングは、実際にはそれほど容易なことではなかったのだろう。結局、サッチマンが、PARCに在任中、こうした再編のあり方に関して具体的なケースを示すことができなかった。こういうことを可能にするためには、新たな同盟を可能にするような“翻訳” (Latour, 1987)が必要だった。彼女たちは、こうしたことをやりきることができなかった。

  サッチマンが、PARCを去るにあたって、その理由としてマネージメント・サイドとのコンフリクトなど様々なことがあったと言われている。しかし、多分、それは、表層的なことなのだ。CSCWの二つの論文は、サッチマンの苦悩と理論的、実践的な限界を示すものであったと思う。
...................

状況論が人工物を含む学習環境などのデザイン実践に関与しようとするとき、新しい課題が明らかになってくるように思われる。このことは、また、前節で述べたエスノグラフィーを実践として捉えるという観点とも関連している。つまり、デザインにせよ、エスノグラフィーにせよ、それは、参加やアクセスをデザインするという実践であり、また、そうしたデザインのための新しいネットワーク構築や同盟形成の実践である。
 すでに見たように、状況論にとって、企業は重要な同盟の対象であった。このことが、状況論にとって強みでもあったし、また、同時に弱点でもあった。実際に、状況論的アプローチにおけるキーワードの一つは「ワークプレイス」であり、このアプローチの中で、盛んにワークプレイス研究が行なわれた。このことによって、学習、知識、人工物に対する見方は大きなひろがりを見せた。一方、当初、それほど意識されていたわけではないが、ワークプレイス研究は、単にフィールドとしてワークプレイスを選ぶというだけでなく、あるレベルを超えるとき、企業との同盟をどのように構築できるか、一つの企業の利害を超えた研究やデザインは可能かということが問題になってきたように思われる。この問題は、まさに企業の研究所の中にいたサッチマン・グループが抱えていた問題である。企業と同盟するということは、例えば、改めて、誰のための人工物のデザインか、誰のための知識の組織化かということが問われなければならなかったということである。
 今の時点で見るなら、一つの選択肢は、実際、これまでもある程度なされて来ているが、地域やオープンソース的なネットワークとの同盟を構築するということである。こうしたあらたな同盟、ネットワークを構築して行く中で、状況論をより現代的な形で展開することが可能になって行くように思われる。

日曜日, 9月 17, 2006

mashstarと懐かしの"アルバム”

mashstar

洛西さんのブログで紹介されていた。洛西さんがweb2.0のマッシュアップを説明するために作った習作だそうだ。
Rakusai on Human Interaction

何も準備していなくても、その場でプレゼンテーションができるサービスというふれこみ。トップページで、例えば、Jean Laveと入れると、Jean Laveの”スライド”を勝手に作ってくれる。また、各スライドをクリックするとリンク元にとべる。


そこで、このサイトで、状況論関係者を入力して”プレゼン”を自動生成してみた。その結果できたのでは、今では懐かしい状況論関係者のアルバム。Wengerのものは最近の写真が多いようだ。

Etienne Wenger

Lucy Suchman

Jean Lave

John Seely Brown

フィンランド

8月末から9月上旬にかけてフィンランドへ行ってきた。

エンゲストロムのところでは、最近、オープンソースとか、スケートボード、グラフィティ とか、バードウオッチなどの分散的な組織、活動に焦点化して研究しているという。このことは、昨年のスペインのISCAR学会でも、報告されていたが、今 回は、エンゲストロムにも関連したこちら側のプレゼンをすると同時に、 最近のプロジェクトについて詳しく聞くことができた。

なぜこういうことが面白いかというと、こういう活動には、新しいタイプの生き方、新しい人々のつながり方、新しい仕事や活動に対する面白さの見つけ方、こうしたことに伴う新しいテクノロジーの使用といったことがあるからだ。

組織論的に言えば、こういう活動では、中心、境界といったものが明確ではなく、分散的に、いろいろなところから出現してくるところが特徴だ。こうした活動や組織のあり方は、従来のワークプレイス研究とは全く異なっている。

それでは、エンゲストロムのところでは、こういうことをどのようにやっているのか。例えば、オープンソースについてどんな研究やっているかと思ったら、Open Officeだった。MLやBlogなどがデータ。

しかし、今、オープンソースやるなら、やはりウェブ系、とりわけweb2.0的なものだと思う。それに、データをMLやBlogだけにするのではなく、 Open Officeを仕掛けているSunにアプローチするとか、実際に、 やっている人々にあってみることが必要だ。それに、エンゲストロムたちがイノベーションを看板にしているとするなら、実際にやっている人々と同盟するとか、少なくとも使っている 側としてからんでいくということを考える必要があるのではないだろうか。

今のところ、例えば、グラフィティのコミュニティを研究するにしても、彼らはフィールドワークしかできない。しかし、例えば、グラフィティの研究をする際に も、書き込み可能なGoogle mapのようなものがあるとき、そういうコミュニティの活動になんらかの形で絡むことが可能になる。こういう技術が少しでもあると、フィールド・ワークの可能性もひろがるし、活動やシステムの再デザインもできるようになるだろう。

社会科学のフィールドワークや理論は、重要ではあるが、そこだけで勝負しても、多分、これまでとそう変わったことはできない。このところ、人々やテクノロジーの布置が大きく変わった。もう90年代をくり返すことはできない。これは活動理論だけではなく状況論でも同じだ。

新サイト

その後、Blogger Betaは、様々な改訂が公約通りになされました。
そこで、状況論サイトをBlogger Beta上に再構築することにしました。