木曜日, 12月 14, 2006

刊行「科学技術実践のフィールドワーク」


上野直樹・土橋臣吾 編著

「科学技術実践のフィールドワーク:ハイブリッドのデザイン」
せりか書房

ようやく出ます。今日見本が届きました。

アクターネットワーク理論や状況論に関連する科学技術実践に関する理論的論文、フィールドワーク研究を集めたものです。

カロンのハイブリッドやエージェンシーについて議論した翻訳論文も含まれています。

金曜日, 12月 08, 2006

ワークショップ終了

12月2、3日に武蔵工業大学環境情報学部(横浜キャンパス)で行なわれたISCAR, Japan主催の「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」のワークショップは、盛会のうちに、無事終了しました。まだ、ちゃんとは数えていないですが、100名ほどの参加があったと思います。

参加して頂いた皆様、ありがとうございました。また、企画、運営、展示に関わった横国、武蔵工大の学生、院生の皆様ご苦労様でした。さらに、発表、コメント頂いた皆様、ありがとうございました。

今回は、学生、院生の研究展示とワークショップの組み合わせの企画でしたが、盛りだくさんすぎたなど反省点はいくつかありますが、様々な研究やテーマへのアクセスを可能にしたという点で、大筋で、次回以降につながる展望を得ることができたと思います。

次回以降は、もう少し参加大学を増やしつつ、より多様な展開をめざしたいと思います。

ワークショップの内容については、また、おいおいまとめて行く予定です。

金曜日, 11月 10, 2006

「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」ワークショップのご案内(公式版)

 12月2日(土曜日)に、ISCAR, Japan主催の「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」をテーマにするワークショプを行います。このワークショップでは、学習環境や情報のデザインのための観点、実際のデザインの方法を具体的なデザインを紹介しながら模索します。

 また、同時に、12月2日、3日に学生、院生などの研究展示も行います。
関心ある方は、ぜひご参加ください。学生展示は、フィールドワーク研究、情報デザイン研究、学習研究などのテーマで横浜国大、武蔵工大あわせ50件近くの展示を予定しています。

 参加ご希望の方はご氏名、懇親会参加、不参加をご記入の上、11月20日までに上野までメールでお知らせ下さい。ワークショップ参加費は無料、懇親会参加費は一般2000円、学生・院生1000円です。

上野直樹
武蔵工業大学環境情報学部
nueno@yc.musashi-tech.ac.jp

ISCAR, Japanワークショップ・サイトは以下です。今後、このワークショップ関連のお知らせ、資料、議論などは、このサイトに掲載します。

http://iscar-japan-workshop.blogspot.com/

ワークショップなどの日時、場所、プログラム、発表要旨は以下の通りです。
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日時
ワークショップ:12月2日(土)午後1時半〜6時半
研究展示:12月2日(土), 12月3日(日)午後1時〜5時

場所 
ワークショップ 武蔵工業大学環境情報学部 3号館2階32A教室
研究展示 武蔵工業大学環境情報学部 4号館2階カフェ
懇親会 武蔵工業大学環境情報学部 4号館2階カフェ

アクセス
http://www.yc.musashi-tech.ac.jp/top/access.html
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ワークショップ・プログラム

○企画の趣旨と全体のアウトライン紹介 1:30-2:00
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)

○サブカルチャーのハイブリッドなデザイン 2:00-3:00
司会 有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)
コメント 有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)
     茂呂雄二(筑波大学心理学系) 

土橋臣吾(武蔵工業大学環境情報学部)
「集合体としてのユーザー、ヘビーユースというふるまい」

インターネットのヘビーユーザーへのインタビュー調査を通じて、メディアを使えるということがどのようなことなのかをアクター・ネットワーク理論的な観点から考える。結論的には、ユーザーという存在が個人という概念を超えた集合体/態であることが示され、そうした視点からユーザー・エージェンシーのデザインという新たな論点を提示する。

岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)・宮本千尋(横浜国立大学教育人間科学部)
「ハイブリッドな集合体としての「オタク」」

「オタク」という社会的現実は彼らの参加に先だってある。その「オタク」であることの本質は、人工物、実践等の細部の集合に宿る。本質とは具体的なディテールなのだ。彼らは、自分自身がいかなる「オタク」であるかを、様々なカテゴリや他者、人工物、過去の自分などとの交渉を通して可視にする。ここでは、「オタク」が自分自身について語る場面に着目し、ハイブリッドな集合体(hybrid collectives)として の彼らの日常的な実践を記述する。

○休憩 300-3:30

○ 実践やネットワークに埋め込まれた情報デザイン 3:30-5:00
司会 有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)
コメント 山崎 真湖人(アドビ システムズ(株))
     植村朋弘(多摩美術大学造形表現学部)

野々山 正章、澤田 浩二、斉藤 謙介(武蔵工業大学環境情報学部)
「多層的な知識、関心を表現するドキュメントのデザイン」

コミュニティやネットワークの中でドキュメントは用いられ、多視点
的かつ多層的な知識や関心を表現している。このドキュメントのデザインをネットワークのデザインとして捉え、そのモノのみのデザインを超えた、ネットワークの表象としてのデザインを目指し、ツーリング、アマチュアミュージシャン、ゼミなどの具体的な実践に即して、ドキュメントのデザインを試みた。

天笠邦一(あまがさくにかず)(慶応義塾大学政策・メディア研究科)

「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」
本研究では、カメラ付ケータイを介した現実空間の文節化とそのWEB上の地図へのマッピング・分類を行うワークショップを通じて、生活者が主体的・実践的に「まち」の見え方を構築するその可能性を論じる。Lynchによる"Juxtaposition"のコンセプトを援用し、カメラ付ケータイにより生成されるイメージによる「現実」の構築とその交換による地域社会への参加のデザインを模索するものである

真行寺由郎(武蔵工業大学環境情報学部)
「時間のエコロジー〜学生間の情報エコロジーをつなぐツールとしてのスケジューラのデザイン〜」

 この研究では、特定の活動に焦点を当て、時間に関する人工物のデザインを通して活動のデザインを行う。また、その活動を取り巻く人工物の配置を調査分析し、時間に関する情報エコロジーを明らかにする。

○休憩 5:00-5:30

○ 学習環境のデザイン 5:30-6:30
司会 茂呂雄二(筑波大学心理学系)
コメント 有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)
山崎 真湖人(アドビ システムズ(株))

加藤 浩(NIME / メディア教育開発センター)

「協調学習環境における創発的分業のデザイン」
本講演では、制度的分業とは別に、人々が相互行為的に分業を組織化し、維持・再編する行為を創発的分業と呼び、創発的分業を支援する学習環境が豊富な学習機会を提供する場として重要であることを主張したい。具体的には、学生が対面でCSCLソフトを使って協働作業している場面を分析して、そこで創発的分業がどのようにして達成されているかを明らかにし、それが成立するための要件を考察する。

小池星多(武蔵工業大学環境情報学部)
「ネットワークとしてのロボットのデザイン」

研究室では、人間とコミュニケーションできるロボットをプログラムして幼稚園に持ち込み、幼稚園の活動の中でロボットをデザインする実践を行っている。ロボットとセットで幼稚園に入り込んだ私達研究室のコミュニティと、幼稚園教員のコミュニティとのネットワーキングの変容が、ロボットというテクノロジーの幼稚園での価値や地位を変容させる。さらに、ロボットのデザインとは、そのもののデザインではなく、教員、学生、ロボットのメーカー、園児、父母との多様な社会的ネットワーキングのデザインである。ここでは、学習環境のデザインをこのようなネットワークとしてのロボットのデザインを通して行なう事例を紹介する。

○ 懇親会 6:45-8:45

水曜日, 11月 01, 2006

新刊予告

11月刊行を目指して、最終的な編集作業中です。

上野直樹・土橋信吾編著「ハイブリッドな集合体:科学技術実践のフィールドワーク」せりか書房

土曜日, 10月 28, 2006

修論2.0?

修論、卒論プロジェクトのBlog。いろいろなアイディア。まもなく更新されるそうです。

http://mdp-info.blogspot.com/

水曜日, 10月 25, 2006

「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」ワークショップのご案内(速報2)

12月2日(土曜日)に、ISCAR, Japan主催の「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」をテーマにするワークショプを行います。このワークショップでは、学習環境や情報のデザインのための観点、実際のデザインの方法を具体的なデザインを紹介しながら模索します。

 また、同時に、12月2日、3日に学生、院生などの研究展示も行います。さらに詳細な情報は、後日、連絡致します。

関心ある方は、ぜひご参加ください。

上野直樹
武蔵工業大学環境情報学部


ISCAR, Japan関連サイトは以下です。今後、このワークショップ関連のお知らせ、資料、議論などは、このサイトに掲載します。
ISCAR, Japanブログ


ワークショップなどの日時、場所、プログラム、発表要旨は以下の通りです。
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日時 
ワークショップ:12月2日(土)午後1時半〜6時半
研究展示:12月2日(土), 12月3日(日)午後1時〜5時

場所 
ワークショップ 武蔵工業大学環境情報学部 3号館2階32A教室
研究展示 武蔵工業大学環境情報学部 4号館2階カフェ

アクセス
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ワークショップ・プログラム

○ 司会、コメント
茂呂雄二(筑波大学心理学系)
有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)他

○企画の趣旨と全体のアウトライン紹介
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)


○サブカルチャーのデザイン

土橋信吾(武蔵工業大学環境情報学部)
「集合体としてのユーザー、ヘビーユースというふるまい」

インターネットのヘビーユーザーへのインタビュー調査を通じて、メディアを使えるということがどのようなことなのかをアクター・ネットワーク理論的な観点から考える。結論的には、ユーザーという存在が個人という概念を超えた集合体/態であることが示され、そうした視点からユーザー・エージェンシーのデザインという新たな論点を提示する。

岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)・宮本千尋(横浜国立大学教育人間科学部)
「ハイブリッドな集合体としての「オタク」」

「オタク」という社会的現実は彼らの参加に先だってある。その「オタク」であることの本質は、人工物、実践等の細部の集合に宿る。本質とは具体的なディテールなのだ。彼らは、自分自身がいかなる「オタク」であるかを、様々なカテゴリや他者、人工物、過去の自分などとの交渉を通して可視にする。ここでは、「オタク」が自分自身について語る場面に着目し、ハイブリッドな集合体(hybrid collectives)として の彼らの日常的な実践を記述する。

○実践やネットワークに埋め込まれた情報デザイン

天笠邦一(あまがさくにかず)(慶応義塾大学政策・メディア研究科)

「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」
本研究では、カメラ付ケータイを介した現実空間の文節化とそのWEB上の地図へのマッピング・分類を行うワークショップを通じて、生活者が主体的・実践的に「まち」の見え方を構築するその可能性を論じる。Lynchによる"Juxtaposition"のコンセプトを援用し、カメラ付ケータイにより生成されるイメージによる「現実」の構築とその交換による地域社会への参加のデザインを模索するものである


野々山 正章、澤田 浩二、斉藤 謙介(武蔵工業大学環境情報学部)
「多層的な知識、関心を表現するドキュメントのデザイン」

コミュニティやネットワークの中でドキュメントは用いられ、多視点
的かつ多層的な知識や関心を表現している。このドキュメントのデザインをネットワークのデザインとして捉え、そのモノのみのデザインを超えた、ネットワークの表象としてのデザインを目指し、ツーリング、アマチュアミュージシャン、ゼミなどの具体的な実践に即して、ドキュメントのデザインを試みた。


真行寺由郎(武蔵工業大学環境情報学部)
「時間のエコロジー〜学生間の情報エコロジーをつなぐツールとしてのスケジューラのデザイン〜」
 この研究では、特定の活動に焦点を当て、時間に関する人工物のデザインを通して活動のデザインを行う。また、その活動を取り巻く人工物の配置を調査分析し、時間に関する情報エコロジーを明らかにする。

○ 学習環境のデザイン

加藤 浩(NIME / メディア教育開発センター)

「協調学習環境における創発的分業のデザイン」
本講演では、制度的分業とは別に、人々が相互行為的に分業を組織化し、維持・再編する行為を創発的分業と呼び、創発的分業を支援する学習環境が豊富な学習機会を提供する場として重要であることを主張したい。具体的には、学生が対面でCSCLソフトを使って協働作業している場面を分析して、そこで創発的分業がどのようにして達成されているかを明らかにし、それが成立するための要件を考察する。

小池星多(武蔵工業大学環境情報学部)
「ネットワークとしてのロボットのデザイン」

研究室では、人間とコミュニケーションできるロボットをプログラムして幼稚園に持ち込み、幼稚園の活動の中でロボットをデザインする実践を行っている。ロボットとセットで幼稚園に入り込んだ私達研究室のコミュニティと、幼稚園教員のコミュニティとのネットワーキングの変容が、ロボットというテクノロジーの幼稚園での価値や地位を変容させる。さらに、ロボットのデザインとは、そのもののデザインではなく、教員、学生、ロボットのメーカー、園児、父母との多様な社会的ネットワーキングのデザインである。ここでは、学習環境のデザインをこのようなネットワークとしてのロボットのデザインを通して行なう事例を紹介する。

火曜日, 10月 24, 2006

「文化と状況的学習」Amazonで販売開始



上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」

ようやくAmazonでも販売開始になりました。
文化と状況的学習 Amazonサイト

金曜日, 10月 13, 2006

「ポスト状況論の展望」ワークショップのお知らせ(速報1)

12月2,3日に、「ポスト状況論の展望:学習環境と情報のデザインへのアプローチ」行なう予定です。

詳細は、間もなくお知らせします。

web2.0の演習

「情報と教育」という2年生対象の演習で、web2.0の技術を使って、あるテーマでサイトを作るというようなことを始めた。
具体的には、学生が、書き込み可能なGoogle Mapのプログラムをエディターで編集し、サーバにアップし、各グループで自分たちなりのテーマでマップを作るというようなことを行なう。開始直前は、無謀な試みと思えたが、なんとかなりそうだ。多くのグループは、テスト版および実用で使えるバージョンのアップに成功。書き込み可能なGoogle Mapのプログラムを書いたのは研究室学生。

なにしろ大変なのは、演習とは言っても、学生が80名近くいること。アシスタントが二人いても、これは大変。今は、コンピュータの先生みたいだ。どういうテーマで、どういうフィールドワークをやって、コンテンツを作るかがメインテーマだが、一方で、多少のウェブ技術のお勉強。

この演習のためにサーバをセッティングしてくれ、かつ書き込み可能なGoogle Mapのプログラムを書いた研究室学生が、こういうweb2.0の授業は、日本で始めてではと言っていたが、多分、そうなのだろう。

今回のこの演習では、わかりやすいテーマと技術の学習がマッチしていて、学習環境をアレンジしている側としては楽しい。

金曜日, 9月 22, 2006

10月上旬刊行「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」

10月10日発売

上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」凡人社

定価2,100円 ISBN4-89358-629-7

目次
0. はじめに   上野直樹・ソーヤーりえこ
1. 理論編
 1.1 ネットワークとしての状況論  上野直樹
 1.2 社会的実践としての学習 ー状況的学習論概観ー ソーヤーりえこ
 
2. フィールドワーク編
 2.1 理系研究室における装置へのアクセスの社会的組織化 
   ソーヤーりえこ
 2.2 実践に埋込まれたインタラクション
   —理系研究室における実験の社会的組織化—  柳町智治
 
 2.3 教室における知識・情報のネットワーク:入門フランス語クラス
   での調査から  柳町智治
 2.4 リソースの組み合わせとしてのインタラクション
   —「アクションの理論」による終助詞「ね」の分析—  岡田みさを


以下は、その中の一章「ネットワークとしての状況論」からの抜粋です。なお、以下も同じ章からの抜粋です。
ネットワークの終焉

PARC:サッチマンの苦悩

この当時、PARCにいたサッチマン・グループは、IRLのような経営的な問題を抱えてはいなかった。むしろ、すでに述べたように、サッチマンにとって華やかな舞台であったPARCが、同時に彼女の苦悩の種でもあった。このような傾向は90年あたりからもう始まっていたようである。彼女たちは、ある時期から企業内で研究をやって行くことにおいて、明らかに行き詰まりを感じていたように思われる。サッチマンによって書かれたCSCWの二つの論文がその苦悩を象徴している。(Suchman, 1994a, 1994b)

 サッチマンの苦悩とはどういうものであったのだろうか。論文から推察できることは、一つには、伝統的なデザインの分業関係と彼女たちの実践のズレにあったように思われる。彼女たちは、一連の研究の中で、孤立したデバイスの創造としてのデザインという見方を大きく変化させて行った。つまり、彼女たちは、隔離された場面を作り、ものと人とのインターラクションを分析して、そこからユーザビリティやデザインについてのアイディアを導き出すという実験室的手法のパラダイムではなく、現実の実践全体を見るべきだという観点を持っていた。こうしたことに関連して、サッチマンたちは、従来的なデザイナー/ユーザという二分法を問題視していた。彼女たちによれば、デザインとはネットワーキングであり、分業の境界を横断する営みなのだ。
 しかし、彼女たちが企業の研究所の中で要求されていたことは、伝統的なユーザビリティの調査であったように思われる。彼女たちのような実践全体を見るという観点は、伝統的なデザインの言葉に翻訳するのは、難しかったのだろう。そして、調査、分析-デザインという分業体系が、それをより困難にしていたとも言える。企業の中では、デザインとは、あくまでデザインの専門家が行うものであったのだ。
 彼女たちの目指したことは、こうしたデザインにおける分業関係の再編ということであった。しかし、こうした再編、あるいは、再ネットワーキングは、実際にはそれほど容易なことではなかったのだろう。結局、サッチマンが、PARCに在任中、こうした再編のあり方に関して具体的なケースを示すことができなかった。こういうことを可能にするためには、新たな同盟を可能にするような“翻訳” (Latour, 1987)が必要だった。彼女たちは、こうしたことをやりきることができなかった。

  サッチマンが、PARCを去るにあたって、その理由としてマネージメント・サイドとのコンフリクトなど様々なことがあったと言われている。しかし、多分、それは、表層的なことなのだ。CSCWの二つの論文は、サッチマンの苦悩と理論的、実践的な限界を示すものであったと思う。
...................

状況論が人工物を含む学習環境などのデザイン実践に関与しようとするとき、新しい課題が明らかになってくるように思われる。このことは、また、前節で述べたエスノグラフィーを実践として捉えるという観点とも関連している。つまり、デザインにせよ、エスノグラフィーにせよ、それは、参加やアクセスをデザインするという実践であり、また、そうしたデザインのための新しいネットワーク構築や同盟形成の実践である。
 すでに見たように、状況論にとって、企業は重要な同盟の対象であった。このことが、状況論にとって強みでもあったし、また、同時に弱点でもあった。実際に、状況論的アプローチにおけるキーワードの一つは「ワークプレイス」であり、このアプローチの中で、盛んにワークプレイス研究が行なわれた。このことによって、学習、知識、人工物に対する見方は大きなひろがりを見せた。一方、当初、それほど意識されていたわけではないが、ワークプレイス研究は、単にフィールドとしてワークプレイスを選ぶというだけでなく、あるレベルを超えるとき、企業との同盟をどのように構築できるか、一つの企業の利害を超えた研究やデザインは可能かということが問題になってきたように思われる。この問題は、まさに企業の研究所の中にいたサッチマン・グループが抱えていた問題である。企業と同盟するということは、例えば、改めて、誰のための人工物のデザインか、誰のための知識の組織化かということが問われなければならなかったということである。
 今の時点で見るなら、一つの選択肢は、実際、これまでもある程度なされて来ているが、地域やオープンソース的なネットワークとの同盟を構築するということである。こうしたあらたな同盟、ネットワークを構築して行く中で、状況論をより現代的な形で展開することが可能になって行くように思われる。

日曜日, 9月 17, 2006

mashstarと懐かしの"アルバム”

mashstar

洛西さんのブログで紹介されていた。洛西さんがweb2.0のマッシュアップを説明するために作った習作だそうだ。
Rakusai on Human Interaction

何も準備していなくても、その場でプレゼンテーションができるサービスというふれこみ。トップページで、例えば、Jean Laveと入れると、Jean Laveの”スライド”を勝手に作ってくれる。また、各スライドをクリックするとリンク元にとべる。


そこで、このサイトで、状況論関係者を入力して”プレゼン”を自動生成してみた。その結果できたのでは、今では懐かしい状況論関係者のアルバム。Wengerのものは最近の写真が多いようだ。

Etienne Wenger

Lucy Suchman

Jean Lave

John Seely Brown

フィンランド

8月末から9月上旬にかけてフィンランドへ行ってきた。

エンゲストロムのところでは、最近、オープンソースとか、スケートボード、グラフィティ とか、バードウオッチなどの分散的な組織、活動に焦点化して研究しているという。このことは、昨年のスペインのISCAR学会でも、報告されていたが、今 回は、エンゲストロムにも関連したこちら側のプレゼンをすると同時に、 最近のプロジェクトについて詳しく聞くことができた。

なぜこういうことが面白いかというと、こういう活動には、新しいタイプの生き方、新しい人々のつながり方、新しい仕事や活動に対する面白さの見つけ方、こうしたことに伴う新しいテクノロジーの使用といったことがあるからだ。

組織論的に言えば、こういう活動では、中心、境界といったものが明確ではなく、分散的に、いろいろなところから出現してくるところが特徴だ。こうした活動や組織のあり方は、従来のワークプレイス研究とは全く異なっている。

それでは、エンゲストロムのところでは、こういうことをどのようにやっているのか。例えば、オープンソースについてどんな研究やっているかと思ったら、Open Officeだった。MLやBlogなどがデータ。

しかし、今、オープンソースやるなら、やはりウェブ系、とりわけweb2.0的なものだと思う。それに、データをMLやBlogだけにするのではなく、 Open Officeを仕掛けているSunにアプローチするとか、実際に、 やっている人々にあってみることが必要だ。それに、エンゲストロムたちがイノベーションを看板にしているとするなら、実際にやっている人々と同盟するとか、少なくとも使っている 側としてからんでいくということを考える必要があるのではないだろうか。

今のところ、例えば、グラフィティのコミュニティを研究するにしても、彼らはフィールドワークしかできない。しかし、例えば、グラフィティの研究をする際に も、書き込み可能なGoogle mapのようなものがあるとき、そういうコミュニティの活動になんらかの形で絡むことが可能になる。こういう技術が少しでもあると、フィールド・ワークの可能性もひろがるし、活動やシステムの再デザインもできるようになるだろう。

社会科学のフィールドワークや理論は、重要ではあるが、そこだけで勝負しても、多分、これまでとそう変わったことはできない。このところ、人々やテクノロジーの布置が大きく変わった。もう90年代をくり返すことはできない。これは活動理論だけではなく状況論でも同じだ。

新サイト

その後、Blogger Betaは、様々な改訂が公約通りになされました。
そこで、状況論サイトをBlogger Beta上に再構築することにしました。

土曜日, 8月 19, 2006

ネットワークとしての状況論

「ネットワークとしての状況論」というタイトルで、ある本の1章を書いた。以下はその一節。この後、何が見つかったかということが、このブログのテーマ。

ネットワークの終焉
 私 自身は、1999年に半年間、スタン フォードですごしていた。そのとき、パロ・アルトは、これまで以上に閑散としていた。IRLにも人が訪れることはほとんどなく、そこで、研究会、ワーク ショップが企画されることもなかった。そのような、ある日、PARCにサッチマンを訪問した。そこで、「仕事実践とテクノロジー」(Work Practice and Technology)についてのワークショップがPARCであることを教えられた。このワークショップは2日に渡って行われ、世界から様々な人々が、集 まった。集まった人々は、このワークショップがどのような意味を持つものかよく知っていたはずだ。

 この1999年のPARCでの集会を もって、主に80 年代後半から90 年代にかけてパロ・アルトを拠点として展開した状況論ネットワークの活動は終焉した。その場に立ち会ったことは、私自身にある感慨をもたらした。この集会 は、一つの豊かな時代を表すものだったし、パロ・アルトには、もう何も生み出す力は残っていないことを示していた。このような感慨は、多くの参加者にとっ ても同じだっただろう。集会後、人々は、また、世界の各国に戻っていった。希望的に見れば、パロ・アルトはその役割を終え、種は世界中に撒かれたと考える ことも可能かもしれない。
 この後1-2年後に、IRLも、また、終焉の日を迎えた。ある部門は、あるコンサルタント会社に吸収された。メンバーの何人かは、独自に企業コンサルタントのベンチャーをおこした。
  私自身はもうパロ・アルトを訪れることはないだろう。状況論的な関心からすれば、すでに、そこにはほとんど何も残っていないからだ。1998年にパロ・ア ルト周辺に長期滞在したセス(Seth Chaiklin)も後年、同じことを言っていた。「もうあそこには何もない」そして「そうだとすれば、次に行くべき場所はどこだろうか、私たちは探して いる」とも。レイヴも、また、レイ・マクダーモット(Ray McDermott)も同様の見方をしていた。しかし、それは、たんに行くべき場所だけのことではなかった。恐らく、私たちは、次にどのようなテーマ、実 践に赴くべきかを探していたのだ。

お知らせ:再びBloggerへ

Situated Approachのサイトを、再度、Bloggerに置くことにしました。

木曜日, 7月 13, 2006

状況論とインタフェエース論の違い2

あらためて、状況論とインタフェース論の違いについて整理してみることにしよう。

・インタフェース論

日常のものの扱い方、道具の使い方を参考にしてシステムの上でそういうものを再現しようとする。そういう目的で、そういうセンスで日常を見る。

ひらたく言えば、アナログ的に使えるインタフェースの実現をめざす。逆に、そういうレベルで日常、現実を見ようとする。

ここにあるのは、日常をデジタルに載せよう、載せたいという発想。「もの世界わかりやすいじゃん、それなら、デジタル世界もものっぽくすればわかりやすい。」

活動の流れをみたり、活動の中で用いられる様々な人工物の連携を考えて新しい人工物をデザインしようということではない。

ひどい場合は、字ではなく絵にしたらいいという発想になる。

・情報デザイン

基本的には、インタフェース論にのっかったもの。デジタルにせよ、図による表現にせよ、孤立したインタフェースを作ることが目的。もの世界をデジタルに載せようという志向性。

リアルな世界のアナログ的な側面をシステムに載せようという発想は、偶然出てきたものではない。

世界のアナログ的な写しをデジタル世界に作ろうという一種の表象主義とも言える。

・状況論      

例えば、世界は、どのように、どのような人工物によって誰によって可視化されているか。どのような実践や社会組織の中でそういうことが行なわれているかということに関心がある。
        
活動の流れを見た上で、人工物をどのように再デザイン可能なのかを問う。

様々な人工物、リソースが、どのように連携して使われているか、一つを動かすと、全体がどのように再編されるのかを見る。

あるいは、ある活動の中における人々、知識、もの相互のアクセスの構造のデザインに関心がある。(こういう関心が、web2.0の技術への関心につながってくる。)

この観点からすれば、人工物のデザインとは、世界の写しを作るのではなく、世界や環境の一部を作るということ。
         
日常を見るという観点が、インタフェース論とは根本的に異なっている。

アナログでかっこよく表現することが目的ではない。状況論からすれば、ときには、シンプルな記号のリストが、もっともよい人工物になりうる。なぜなら、人工物は、一つで完結しているものではないから。

水曜日, 7月 12, 2006

状況論とインタフェース論の違い1

状況論とインタフェース論は人工物のデザインというとき、全く異なったことに焦点を当てる。

インタフェース研究は、ノーマンに代表されるように、システムを操作する際の表層的なわかりやすさ、使いやすさを研究、デザインしてきた。システムの操作系のアナログ化、デジタル的な対象の”直接操作”を可能にするデザインなどは、すべてこういう観点からなされている。

こうした観点の背景にある理論はシンプルだ。要するに日常の認知系、知覚系に自然にフィットする人工物こそが、いいデザインということになる。あるいは、日常のアナログな行為を、システム上でも実現させることが、インタフェースのデザインの目的になる。

しかし、日常の認知系、知覚系とは何か。抽象的に、かつ、一般的にそのようなものが定義できるだろうか。

あるいは、日常の行為をアナログというようなレベルで捕らえるような観点で、実践的に使えるデザインができるだろうか?

こういうインタフェースの発想の極限が以下にあるようなものだ。

三次元GUI

一言で言えば、こうした発想は、実践全体を見るとか、活動の社会性、多層的なリソースの関連付けた使用を見ていこうという発想が全くない。

もちろん、インタフェース研究が日常の行為を見ないというわけではない。問題は、見る際の観点だ。彼らが見ることは、素朴なアナログ的な認知、行為といったことに切り詰められている。

上のビデオの事例は典型的だ。つまり、日常の活動の観察が、アナログ的に書類を積み重ねるとか、まとめるとかそういうレベルにとどまっている。

し かし、人々は、意味なく書類を積み重ねるわけではない。なんらかの仕事があったり、仕事上、何物かへのアクセスを容易にするというような中で書類を積み重 ねている。要するに、書類を整理することの背景には、活動の流れがあるはずなのだ。ポイントは、ものをアナログ的に扱うかどうか、コンピュータを使う行為 か、使わない行為か、あちら側とこちら側という問題ではない。実践の中では、こうしたものは、すべて連関し、連続したものなのだ。

このように考えるとき、情報デザインのテーマは、インタフェースのデザインということを大きく超えたものになる。あるいは、従来とは、根本的に異なった軸に焦点を当てることを可能にする。

日曜日, 6月 25, 2006

書き込み可能なGoogle Map

主に研究室の学生がやっているのだが、今、Google Mapに書き込みできるサイトを構築している。最近流行のAjaxによるマッシュアップ。こういうサイトは、すでに数多くあるが、そういうものは、自分なりに再デザインすることはできない。

しかし、自前で作ったものは、ある程度、仕組みも、わかっており、いろいろ作り替えることも可能だ。コントロール可能なこういうものを見て、何人かでわいわいやっていると、具体的に何ができそうかイメージが湧いてくる。

技術的なアイディアは、具体的な技術の中身が見えないところから出てこない。中身が見えていて、作り替え可能なとき、自らの活動やテーマに関連づけたり具体的なアイディアが出てくる。

木曜日, 5月 04, 2006

音楽CDのロングテール

CDの売り上げが7年ぶりに前年を上回ったそうだ。

SFCの松村太郎氏のブログでは、iTuneやAmazonなどが、ロングテールを掘り起こしたからだという。
http://www.tarosite.net/blogging/

あえて言えば、こういうことにはwinnyやyou tubeなんかも絡んでいるだろう。

確かに、このところ、われわれの音楽へのアクセス可能性が大きく変わった。それによって、いろいろ聴いたり、知ったりすることができて、マイナーなものも欲しくなるというわけだ。

このように商品の流通の構造は大きく変わっている。
「探すことのデザイン」も。

こ ういう中での更なる「探すことのデザイン」は、例えば、AmazonデータのAPIを用いたハッキングとか、マッシュアップのデザインということになるの だろう。このようにweb2.0的な技術の文脈を考えるなら、「探すことのデザイン」は、従来の情報デザインとは異なったものになるだろう。

web2.0時代の本の著者と読者の関係

バフチンが、ある時期、作者と主人公の関係だけではなく、読者との関係も考えるべきだと指摘したそうだが、現代的なweb 2.0的な技術の中で、本の著者と読者の関係は明らかに変化しつつある。

知り合いがmixiで、ウェブ進化論へのコメントを書いたら、さっそく著者の梅田氏の足あとがついていたそうだ。

実際、以下の梅田氏のサイトで、彼自身で「ウェブ進化論」についてのコメントをSNSも含めて徹底的に調査しているという記事が載っていた。
引用されている村上春樹の記事も興味深い。
村上春樹


梅 田氏はblogを通して500名くらいの(熱心な)読者が見えると書いている。「ウェブ進化論」の場合は、出版前に、一部、blogなどで、記事が公開さ れ、すでに、blogネットワークの中ではよく知られていた。このようなことからこの著者は、blogは、アカデミーと一般の人々をつなぐものだとも書い ている。ただし、啓蒙ではなく、合意形成の場として。
もう一つ、著者と読者の関係を大きく変えているのは、言わずと知れたamazon。

いずれにしても本だけを出版するという時代は終わりつつある。ネットと連動させる、そういう時代だ。出版という営為もウェブという新しいテクノロジーのもとで大きく再編されつつある。 こうしたことは、新しいパースペクティブを持ったメディア論を要求している。

火曜日, 4月 18, 2006

バフチンとパノプチコンとweb 2.0

バフチンは、ドストエフスキー論の中で、ドストエフスキーの小説では、主人公がなんであるかは、主人公の声で語られるという。こうして、作者と主人公の関 係は対等になり、対話的な関係になるという。一方、モノローグ的な記述では、主人公はあくまで作者の視点、枠の中で語られるという。
おおまかに言えば、バフチンの対話性とかモノローグとは以上のようなことだ。

こうしたことは、小説に限らず、世界の記述のあり方の視点の問題とも言えるだろう。

しかし、モノローグ的であったり対話的であることは、それ自体として可能になっているわけではないだろう。

モノローグが可能なのは、例えば、パノプチコン的な人工物の構築によっている。ある高みからモノローグ的に、あるいは、”客観的に”何かを記述できるのは、それなりの制度、物質的な人工物があり、その中であるポジションを占めることができているからだ。

こういう特権性がなくなったとき、あるいは、ある程度水平的な交通が相互に可能になったとき、様々な異質なものの間の対話の可能性が生まれる。

対話的であることが可能なのは、別の見方をすれば、対話性を可能にするような交通のインフラがデザインされているからだ。

現 代的なウェブの世界に関連させるなら、例えば、blogが満ち溢れている中で、マスメディアやアカデミーが、従来のようなモノローグの主体であることは難 しくなっている。このようなことを見るなら、ウェブの世界で対話性を可能にするものも、また、人工物であり、水平的なアクセス、コミュニケーションを容易 にする、web2.0的なテクノロジーなのだ。

web2.0

日曜日, 4月 09, 2006

状況論のネットワーク

「状況論のネットワーク」というタイトルの原稿を書き終えた。80年代後半から90年代にかけて展開した理論的系譜と人々のつながりを紹介したもの。ごく簡単に要約すると以下のようになるだろう。

・理論、観点、
  いろいろな研究分野をクロスするもの。
  社会学、文化人類学、認知科学、コンピュータ・サイエンスが特定
  のテーマをめぐって同盟を形成した。

・テーマ、研究対象、
  ワークプレイス、人工物の使用、デザイン、実践といったもの。

・仕掛け人、拠点
  PARC とIRL(パロ・アルト)
状況 論の形成において、場所性は、大きかった。ネットワークのアレンジという点において。こうした場所のアレンジという点で、状況論を担った世代より一つ上の 世代のJ.S. Brownの役割は大きかった。
幅広いアプローチだった。様々な人々が集まる場が形成されていた。 関連する分野で、いま、それだけの集中力ある流れは存在しない。

しかし、現在、状況論の拠点と言える場所は存在しない。情勢も見えにくくなっている。PARCからサッチマン・グループは去り、IRLもなくなった。

80-90年代と比較するとテクノロジーなども大きく変わった。 例えば、web 2.0ということで代表されるような変化。状況論はこういった新しいテーマにどのようにアプローチできだろうか。

こちらからの仕掛けが必要かもしれない。そのことで見えることもあるだろう。

月曜日, 4月 03, 2006

サポートサイト開設

このサイトは、「仕事の中での学習」のサポートサイトです。関連研究ととともに状況論的な観点から様々なトピックを扱って行きます。