火曜日, 4月 18, 2006

バフチンとパノプチコンとweb 2.0

バフチンは、ドストエフスキー論の中で、ドストエフスキーの小説では、主人公がなんであるかは、主人公の声で語られるという。こうして、作者と主人公の関 係は対等になり、対話的な関係になるという。一方、モノローグ的な記述では、主人公はあくまで作者の視点、枠の中で語られるという。
おおまかに言えば、バフチンの対話性とかモノローグとは以上のようなことだ。

こうしたことは、小説に限らず、世界の記述のあり方の視点の問題とも言えるだろう。

しかし、モノローグ的であったり対話的であることは、それ自体として可能になっているわけではないだろう。

モノローグが可能なのは、例えば、パノプチコン的な人工物の構築によっている。ある高みからモノローグ的に、あるいは、”客観的に”何かを記述できるのは、それなりの制度、物質的な人工物があり、その中であるポジションを占めることができているからだ。

こういう特権性がなくなったとき、あるいは、ある程度水平的な交通が相互に可能になったとき、様々な異質なものの間の対話の可能性が生まれる。

対話的であることが可能なのは、別の見方をすれば、対話性を可能にするような交通のインフラがデザインされているからだ。

現 代的なウェブの世界に関連させるなら、例えば、blogが満ち溢れている中で、マスメディアやアカデミーが、従来のようなモノローグの主体であることは難 しくなっている。このようなことを見るなら、ウェブの世界で対話性を可能にするものも、また、人工物であり、水平的なアクセス、コミュニケーションを容易 にする、web2.0的なテクノロジーなのだ。

web2.0

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