修論2.0?
修論、卒論プロジェクトのBlog。いろいろなアイディア。まもなく更新されるそうです。
http://mdp-info.blogspot.com/
上野直樹著「仕事の中での学習:状況論的アプローチ」東大出版会のサポートサイト
12月2日(土曜日)に、ISCAR, Japan主催の「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」をテーマにするワークショプを行います。このワークショップでは、学習環境や情報のデザインのための観点、実際のデザインの方法を具体的なデザインを紹介しながら模索します。
また、同時に、12月2日、3日に学生、院生などの研究展示も行います。さらに詳細な情報は、後日、連絡致します。
関心ある方は、ぜひご参加ください。
上野直樹
武蔵工業大学環境情報学部
ISCAR, Japan関連サイトは以下です。今後、このワークショップ関連のお知らせ、資料、議論などは、このサイトに掲載します。
ISCAR, Japanブログ
ワークショップなどの日時、場所、プログラム、発表要旨は以下の通りです。
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日時
ワークショップ:12月2日(土)午後1時半〜6時半
研究展示:12月2日(土), 12月3日(日)午後1時〜5時
場所
ワークショップ 武蔵工業大学環境情報学部 3号館2階32A教室
研究展示 武蔵工業大学環境情報学部 4号館2階カフェ
アクセス
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ワークショップ・プログラム
○ 司会、コメント
茂呂雄二(筑波大学心理学系)
有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)他
○企画の趣旨と全体のアウトライン紹介
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)
○サブカルチャーのデザイン
土橋信吾(武蔵工業大学環境情報学部)
「集合体としてのユーザー、ヘビーユースというふるまい」
インターネットのヘビーユーザーへのインタビュー調査を通じて、メディアを使えるということがどのようなことなのかをアクター・ネットワーク理論的な観点から考える。結論的には、ユーザーという存在が個人という概念を超えた集合体/態であることが示され、そうした視点からユーザー・エージェンシーのデザインという新たな論点を提示する。
岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)・宮本千尋(横浜国立大学教育人間科学部)
「ハイブリッドな集合体としての「オタク」」
「オタク」という社会的現実は彼らの参加に先だってある。その「オタク」であることの本質は、人工物、実践等の細部の集合に宿る。本質とは具体的なディテールなのだ。彼らは、自分自身がいかなる「オタク」であるかを、様々なカテゴリや他者、人工物、過去の自分などとの交渉を通して可視にする。ここでは、「オタク」が自分自身について語る場面に着目し、ハイブリッドな集合体(hybrid collectives)として の彼らの日常的な実践を記述する。
○実践やネットワークに埋め込まれた情報デザイン
天笠邦一(あまがさくにかず)(慶応義塾大学政策・メディア研究科)
「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」
本研究では、カメラ付ケータイを介した現実空間の文節化とそのWEB上の地図へのマッピング・分類を行うワークショップを通じて、生活者が主体的・実践的に「まち」の見え方を構築するその可能性を論じる。Lynchによる"Juxtaposition"のコンセプトを援用し、カメラ付ケータイにより生成されるイメージによる「現実」の構築とその交換による地域社会への参加のデザインを模索するものである
野々山 正章、澤田 浩二、斉藤 謙介(武蔵工業大学環境情報学部)
「多層的な知識、関心を表現するドキュメントのデザイン」
コミュニティやネットワークの中でドキュメントは用いられ、多視点
的かつ多層的な知識や関心を表現している。このドキュメントのデザインをネットワークのデザインとして捉え、そのモノのみのデザインを超えた、ネットワークの表象としてのデザインを目指し、ツーリング、アマチュアミュージシャン、ゼミなどの具体的な実践に即して、ドキュメントのデザインを試みた。
真行寺由郎(武蔵工業大学環境情報学部)
「時間のエコロジー〜学生間の情報エコロジーをつなぐツールとしてのスケジューラのデザイン〜」
この研究では、特定の活動に焦点を当て、時間に関する人工物のデザインを通して活動のデザインを行う。また、その活動を取り巻く人工物の配置を調査分析し、時間に関する情報エコロジーを明らかにする。
○ 学習環境のデザイン
加藤 浩(NIME / メディア教育開発センター)
「協調学習環境における創発的分業のデザイン」
本講演では、制度的分業とは別に、人々が相互行為的に分業を組織化し、維持・再編する行為を創発的分業と呼び、創発的分業を支援する学習環境が豊富な学習機会を提供する場として重要であることを主張したい。具体的には、学生が対面でCSCLソフトを使って協働作業している場面を分析して、そこで創発的分業がどのようにして達成されているかを明らかにし、それが成立するための要件を考察する。
小池星多(武蔵工業大学環境情報学部)
「ネットワークとしてのロボットのデザイン」
研究室では、人間とコミュニケーションできるロボットをプログラムして幼稚園に持ち込み、幼稚園の活動の中でロボットをデザインする実践を行っている。ロボットとセットで幼稚園に入り込んだ私達研究室のコミュニティと、幼稚園教員のコミュニティとのネットワーキングの変容が、ロボットというテクノロジーの幼稚園での価値や地位を変容させる。さらに、ロボットのデザインとは、そのもののデザインではなく、教員、学生、ロボットのメーカー、園児、父母との多様な社会的ネットワーキングのデザインである。ここでは、学習環境のデザインをこのようなネットワークとしてのロボットのデザインを通して行なう事例を紹介する。

上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」
ようやくAmazonでも販売開始になりました。
文化と状況的学習 Amazonサイト
12月2,3日に、「ポスト状況論の展望:学習環境と情報のデザインへのアプローチ」行なう予定です。
詳細は、間もなくお知らせします。
ラベル: お知らせ, ポスト状況論ワークショップ
「情報と教育」という2年生対象の演習で、web2.0の技術を使って、あるテーマでサイトを作るというようなことを始めた。
具体的には、学生が、書き込み可能なGoogle Mapのプログラムをエディターで編集し、サーバにアップし、各グループで自分たちなりのテーマでマップを作るというようなことを行なう。開始直前は、無謀な試みと思えたが、なんとかなりそうだ。多くのグループは、テスト版および実用で使えるバージョンのアップに成功。書き込み可能なGoogle Mapのプログラムを書いたのは研究室学生。
なにしろ大変なのは、演習とは言っても、学生が80名近くいること。アシスタントが二人いても、これは大変。今は、コンピュータの先生みたいだ。どういうテーマで、どういうフィールドワークをやって、コンテンツを作るかがメインテーマだが、一方で、多少のウェブ技術のお勉強。
この演習のためにサーバをセッティングしてくれ、かつ書き込み可能なGoogle Mapのプログラムを書いた研究室学生が、こういうweb2.0の授業は、日本で始めてではと言っていたが、多分、そうなのだろう。
今回のこの演習では、わかりやすいテーマと技術の学習がマッチしていて、学習環境をアレンジしている側としては楽しい。
10月10日発売
上野直樹・ソーヤーりえこ編著「文化と状況的学習:実践、言語、人工物へのアクセスのデザイン」凡人社
定価2,100円 ISBN4-89358-629-7
目次
0. はじめに 上野直樹・ソーヤーりえこ
1. 理論編
1.1 ネットワークとしての状況論 上野直樹
1.2 社会的実践としての学習 ー状況的学習論概観ー ソーヤーりえこ
2. フィールドワーク編
2.1 理系研究室における装置へのアクセスの社会的組織化
ソーヤーりえこ
2.2 実践に埋込まれたインタラクション
—理系研究室における実験の社会的組織化— 柳町智治
2.3 教室における知識・情報のネットワーク:入門フランス語クラス
での調査から 柳町智治
2.4 リソースの組み合わせとしてのインタラクション
—「アクションの理論」による終助詞「ね」の分析— 岡田みさを
以下は、その中の一章「ネットワークとしての状況論」からの抜粋です。なお、以下も同じ章からの抜粋です。
ネットワークの終焉
PARC:サッチマンの苦悩
この当時、PARCにいたサッチマン・グループは、IRLのような経営的な問題を抱えてはいなかった。むしろ、すでに述べたように、サッチマンにとって華やかな舞台であったPARCが、同時に彼女の苦悩の種でもあった。このような傾向は90年あたりからもう始まっていたようである。彼女たちは、ある時期から企業内で研究をやって行くことにおいて、明らかに行き詰まりを感じていたように思われる。サッチマンによって書かれたCSCWの二つの論文がその苦悩を象徴している。(Suchman, 1994a, 1994b)
サッチマンの苦悩とはどういうものであったのだろうか。論文から推察できることは、一つには、伝統的なデザインの分業関係と彼女たちの実践のズレにあったように思われる。彼女たちは、一連の研究の中で、孤立したデバイスの創造としてのデザインという見方を大きく変化させて行った。つまり、彼女たちは、隔離された場面を作り、ものと人とのインターラクションを分析して、そこからユーザビリティやデザインについてのアイディアを導き出すという実験室的手法のパラダイムではなく、現実の実践全体を見るべきだという観点を持っていた。こうしたことに関連して、サッチマンたちは、従来的なデザイナー/ユーザという二分法を問題視していた。彼女たちによれば、デザインとはネットワーキングであり、分業の境界を横断する営みなのだ。
しかし、彼女たちが企業の研究所の中で要求されていたことは、伝統的なユーザビリティの調査であったように思われる。彼女たちのような実践全体を見るという観点は、伝統的なデザインの言葉に翻訳するのは、難しかったのだろう。そして、調査、分析-デザインという分業体系が、それをより困難にしていたとも言える。企業の中では、デザインとは、あくまでデザインの専門家が行うものであったのだ。
彼女たちの目指したことは、こうしたデザインにおける分業関係の再編ということであった。しかし、こうした再編、あるいは、再ネットワーキングは、実際にはそれほど容易なことではなかったのだろう。結局、サッチマンが、PARCに在任中、こうした再編のあり方に関して具体的なケースを示すことができなかった。こういうことを可能にするためには、新たな同盟を可能にするような“翻訳” (Latour, 1987)が必要だった。彼女たちは、こうしたことをやりきることができなかった。
サッチマンが、PARCを去るにあたって、その理由としてマネージメント・サイドとのコンフリクトなど様々なことがあったと言われている。しかし、多分、それは、表層的なことなのだ。CSCWの二つの論文は、サッチマンの苦悩と理論的、実践的な限界を示すものであったと思う。
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状況論が人工物を含む学習環境などのデザイン実践に関与しようとするとき、新しい課題が明らかになってくるように思われる。このことは、また、前節で述べたエスノグラフィーを実践として捉えるという観点とも関連している。つまり、デザインにせよ、エスノグラフィーにせよ、それは、参加やアクセスをデザインするという実践であり、また、そうしたデザインのための新しいネットワーク構築や同盟形成の実践である。
すでに見たように、状況論にとって、企業は重要な同盟の対象であった。このことが、状況論にとって強みでもあったし、また、同時に弱点でもあった。実際に、状況論的アプローチにおけるキーワードの一つは「ワークプレイス」であり、このアプローチの中で、盛んにワークプレイス研究が行なわれた。このことによって、学習、知識、人工物に対する見方は大きなひろがりを見せた。一方、当初、それほど意識されていたわけではないが、ワークプレイス研究は、単にフィールドとしてワークプレイスを選ぶというだけでなく、あるレベルを超えるとき、企業との同盟をどのように構築できるか、一つの企業の利害を超えた研究やデザインは可能かということが問題になってきたように思われる。この問題は、まさに企業の研究所の中にいたサッチマン・グループが抱えていた問題である。企業と同盟するということは、例えば、改めて、誰のための人工物のデザインか、誰のための知識の組織化かということが問われなければならなかったということである。
今の時点で見るなら、一つの選択肢は、実際、これまでもある程度なされて来ているが、地域やオープンソース的なネットワークとの同盟を構築するということである。こうしたあらたな同盟、ネットワークを構築して行く中で、状況論をより現代的な形で展開することが可能になって行くように思われる。
mashstar
洛西さんのブログで紹介されていた。洛西さんがweb2.0のマッシュアップを説明するために作った習作だそうだ。
Rakusai on Human Interaction
何も準備していなくても、その場でプレゼンテーションができるサービスというふれこみ。トップページで、例えば、Jean Laveと入れると、Jean Laveの”スライド”を勝手に作ってくれる。また、各スライドをクリックするとリンク元にとべる。
そこで、このサイトで、状況論関係者を入力して”プレゼン”を自動生成してみた。その結果できたのでは、今では懐かしい状況論関係者のアルバム。Wengerのものは最近の写真が多いようだ。
Etienne Wenger
Lucy Suchman
Jean Lave
John Seely Brown
8月末から9月上旬にかけてフィンランドへ行ってきた。
エンゲストロムのところでは、最近、オープンソースとか、スケートボード、グラフィティ とか、バードウオッチなどの分散的な組織、活動に焦点化して研究しているという。このことは、昨年のスペインのISCAR学会でも、報告されていたが、今 回は、エンゲストロムにも関連したこちら側のプレゼンをすると同時に、 最近のプロジェクトについて詳しく聞くことができた。
なぜこういうことが面白いかというと、こういう活動には、新しいタイプの生き方、新しい人々のつながり方、新しい仕事や活動に対する面白さの見つけ方、こうしたことに伴う新しいテクノロジーの使用といったことがあるからだ。
組織論的に言えば、こういう活動では、中心、境界といったものが明確ではなく、分散的に、いろいろなところから出現してくるところが特徴だ。こうした活動や組織のあり方は、従来のワークプレイス研究とは全く異なっている。
それでは、エンゲストロムのところでは、こういうことをどのようにやっているのか。例えば、オープンソースについてどんな研究やっているかと思ったら、Open Officeだった。MLやBlogなどがデータ。
しかし、今、オープンソースやるなら、やはりウェブ系、とりわけweb2.0的なものだと思う。それに、データをMLやBlogだけにするのではなく、 Open Officeを仕掛けているSunにアプローチするとか、実際に、 やっている人々にあってみることが必要だ。それに、エンゲストロムたちがイノベーションを看板にしているとするなら、実際にやっている人々と同盟するとか、少なくとも使っている 側としてからんでいくということを考える必要があるのではないだろうか。
今のところ、例えば、グラフィティのコミュニティを研究するにしても、彼らはフィールドワークしかできない。しかし、例えば、グラフィティの研究をする際に も、書き込み可能なGoogle mapのようなものがあるとき、そういうコミュニティの活動になんらかの形で絡むことが可能になる。こういう技術が少しでもあると、フィールド・ワークの可能性もひろがるし、活動やシステムの再デザインもできるようになるだろう。
社会科学のフィールドワークや理論は、重要ではあるが、そこだけで勝負しても、多分、これまでとそう変わったことはできない。このところ、人々やテクノロジーの布置が大きく変わった。もう90年代をくり返すことはできない。これは活動理論だけではなく状況論でも同じだ。
「ネットワークとしての状況論」というタイトルで、ある本の1章を書いた。以下はその一節。この後、何が見つかったかということが、このブログのテーマ。
ネットワークの終焉
私 自身は、1999年に半年間、スタン フォードですごしていた。そのとき、パロ・アルトは、これまで以上に閑散としていた。IRLにも人が訪れることはほとんどなく、そこで、研究会、ワーク ショップが企画されることもなかった。そのような、ある日、PARCにサッチマンを訪問した。そこで、「仕事実践とテクノロジー」(Work Practice and Technology)についてのワークショップがPARCであることを教えられた。このワークショップは2日に渡って行われ、世界から様々な人々が、集 まった。集まった人々は、このワークショップがどのような意味を持つものかよく知っていたはずだ。
この1999年のPARCでの集会を もって、主に80 年代後半から90 年代にかけてパロ・アルトを拠点として展開した状況論ネットワークの活動は終焉した。その場に立ち会ったことは、私自身にある感慨をもたらした。この集会 は、一つの豊かな時代を表すものだったし、パロ・アルトには、もう何も生み出す力は残っていないことを示していた。このような感慨は、多くの参加者にとっ ても同じだっただろう。集会後、人々は、また、世界の各国に戻っていった。希望的に見れば、パロ・アルトはその役割を終え、種は世界中に撒かれたと考える ことも可能かもしれない。
この後1-2年後に、IRLも、また、終焉の日を迎えた。ある部門は、あるコンサルタント会社に吸収された。メンバーの何人かは、独自に企業コンサルタントのベンチャーをおこした。
私自身はもうパロ・アルトを訪れることはないだろう。状況論的な関心からすれば、すでに、そこにはほとんど何も残っていないからだ。1998年にパロ・ア ルト周辺に長期滞在したセス(Seth Chaiklin)も後年、同じことを言っていた。「もうあそこには何もない」そして「そうだとすれば、次に行くべき場所はどこだろうか、私たちは探して いる」とも。レイヴも、また、レイ・マクダーモット(Ray McDermott)も同様の見方をしていた。しかし、それは、たんに行くべき場所だけのことではなかった。恐らく、私たちは、次にどのようなテーマ、実 践に赴くべきかを探していたのだ。
あらためて、状況論とインタフェース論の違いについて整理してみることにしよう。
・インタフェース論
日常のものの扱い方、道具の使い方を参考にしてシステムの上でそういうものを再現しようとする。そういう目的で、そういうセンスで日常を見る。
ひらたく言えば、アナログ的に使えるインタフェースの実現をめざす。逆に、そういうレベルで日常、現実を見ようとする。
ここにあるのは、日常をデジタルに載せよう、載せたいという発想。「もの世界わかりやすいじゃん、それなら、デジタル世界もものっぽくすればわかりやすい。」
活動の流れをみたり、活動の中で用いられる様々な人工物の連携を考えて新しい人工物をデザインしようということではない。
ひどい場合は、字ではなく絵にしたらいいという発想になる。
・情報デザイン
基本的には、インタフェース論にのっかったもの。デジタルにせよ、図による表現にせよ、孤立したインタフェースを作ることが目的。もの世界をデジタルに載せようという志向性。
リアルな世界のアナログ的な側面をシステムに載せようという発想は、偶然出てきたものではない。
世界のアナログ的な写しをデジタル世界に作ろうという一種の表象主義とも言える。
・状況論
例えば、世界は、どのように、どのような人工物によって誰によって可視化されているか。どのような実践や社会組織の中でそういうことが行なわれているかということに関心がある。
活動の流れを見た上で、人工物をどのように再デザイン可能なのかを問う。
様々な人工物、リソースが、どのように連携して使われているか、一つを動かすと、全体がどのように再編されるのかを見る。
あるいは、ある活動の中における人々、知識、もの相互のアクセスの構造のデザインに関心がある。(こういう関心が、web2.0の技術への関心につながってくる。)
この観点からすれば、人工物のデザインとは、世界の写しを作るのではなく、世界や環境の一部を作るということ。
日常を見るという観点が、インタフェース論とは根本的に異なっている。
アナログでかっこよく表現することが目的ではない。状況論からすれば、ときには、シンプルな記号のリストが、もっともよい人工物になりうる。なぜなら、人工物は、一つで完結しているものではないから。